知覧特攻平和会館のことと、名も知らぬおばぁちゃんがくれたもの

知覧特攻平和会館のことと、名も知らぬおばぁちゃんがくれたもの

鹿児島県南九州市 知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

ここ『知覧』というまちは、かつて特攻隊の出撃地であった。

第二次世界大戦末期に編成された特攻隊。

特攻隊の任務は『爆弾を抱えた飛行機や潜水艇に乗り、敵艦に体当たりする』こと。

つまり、搭乗員の死は前提とされた必死の任務。

この任務に就いたほとんどは、17~25歳の青年たちだった。中には、強制連行された樺太人や朝鮮人もいたという。

ゼロ戦

ここ知覧特攻平和会館は、この事実を残し、語り継ぎ、平和の大切さと命の尊さを伝えていくため、知覧基地跡地に建てられました。

館内には、第二次世界大戦の沖縄戦にて特攻戦死された隊員ひとりひとりの写真と記録、遺書、遺品、手紙、海底から引き揚げられた零戦などが展示されている。

前もって問い合わせ・予約をすると、語り部さんのお話を聞くこともできる。

2015.10月、戦後70年目の節目の年、わたしはひとりこの地を訪れた。

必死の覚悟で飛び立った若き青年たち

開聞岳を見つめる銅像

この銅像の青年は、薩摩半島の南端に佇む開聞岳の方向に向けられている。

青年たちは、爆弾と片道分の燃料だけを積んだ飛行機でこの地を飛び立ち、沖縄の海を目指した。

愛する人たちの顔を浮かべながら、平和な未来が訪れることを願いながら。

開聞岳を過ぎたとき「もう戻れない。行くしかない。」と、隊員たちは覚悟を決めたそう。

とこしえに

館内の壁に飾られた写真に写るひとりひとりの顔は、皆おだやかでありながら、目からは悲しみや怒りの感情を押し殺しているようにも感じられた。

手紙や遺書はとてもていねいな字で書かれており、当時の彼らの気持ちはわたしに分かるものではなかった。

『特攻を美化してるという人もいるが、この事実を、国の未来のために戦った人の想いを伝えていかねばならない。』と、語り部さんは話をしてくれた。

本の中の出来事ではなく本当にあったこと、昔の人のことではなく自分たちの先輩であること、すべては今につながっているんだと、この場所に立ってようやく気づいた。

「これからの日本をよろしくね。」

知覧基地の跡地に建てられている。

館内を周っていると、わたしはいつのまにか泣いていた。

ハッとして顔をあげると、近くいた品のある白髪のおばぁちゃんと目が合った

おばぁちゃんは何も言わずにゆっくりとわたしの隣にやってきて、「ここね、ずっと来たかった場所なの。」と話を始めた。

年齢は70代後半~80代前半くらいだろうか?

宮崎県にお住いだそうで、今日は旦那様に連れてきてもらったそう。

行かなくちゃと思っていながらも、なかなか足を運べずにいたというおばぁちゃん。

きっと、理由があったんだろう。

そのことには触れず、展示ブースを2つほど一緒に見て周った。

最後におばぁちゃんはわたしの正面に立ってこう言った。

「これからの日本をつくっていくのは、あなたたち若い人よ。日本をよろしくね。どうか、よろしくね。」

おばぁちゃんは涙を浮かべ、涙をこらえていたわたしの手を握ってくれた。

ギュっと握ったその手から、大事な大事なバトンを渡されたような気がした。

想いを残していくには、過去と未来をつないでいくためには、どうしたらいいのだろうか。

知覧という場所で名も知らぬおばぁちゃんがくれた言葉は、今でも胸に刺さって抜けない。

日本の未来を背負うのはわたしたち

 

*詳しい情報はコチラ

知覧特攻平和会館HP

http://www.chiran-tokkou.jp/index.html